長勝院旗桜と、どれが正しい歴史なのかわからない話。

2017年4月10日の長勝院旗桜です。

樹齢は400年を超えるという古桜で、幹の上のほうはほとんど花がついていません。

ヤマザクラの変種だそうで、褐色の葉と白い花が同時に出るので、ソメイヨシノのような絢爛さはありませんが、趣深い表情です。


「はたざくら保存会」のリーフレットによると(無料で設置されています)

このあたり(現在の志木第三小学校)は、平安時代末期、田面郡司(たのものぐうじ)藤原長勝(ふじわらのおさかつ)の居城「柏の城」だったそうです。一説には、永禄4年(1561年)、上杉謙信に攻められて落城したとか。


(以下抜粋)

「長勝の死後、時の地頭が君主源頼朝の妻政子の安産祈祷のために長勝の霊を祀って建てた寺が、清滝山薬王寺長勝院(ちょうしょういん)と名付けられたという。時は経ち、寺は損朽が著しくなり、昭和六一年五月、寺は解体され、往時を偲ぶものはこの一本の老桜のみである」


歴史は詳しくありませんが、有名な名前ばかり出てきますね笑


ちなみに長勝には「皐月前(さつきまえ)」という美しい姫君がいらしたそうで、なんとあの在原業平と駆け落ちしたと……なんですって!? いや、すみません、詳しくないのでわかりませんけど、とりあえず笑ってしまいました笑

 「このあたりはかつて亭(ちん)の台とも呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説も伝わっており」と志木市教育委員会も書いていますので、そういう可能性もあるのでしょうね。

そして、京からやってきた高僧・道興准后(どうこうじゅんこう)がその話を聞いて追悼供養を営み、手向けとして挿した一本の杖が芽を出してこの桜が生まれた……という話もあるよ、と。


そもそも、柏の城のことはよくわからないみたいで、同敷地内にある『柏の城西の曲輪跡』の札には、「柏の城は、関東管領山内上杉家の重臣大石氏一族の戦国初期からの居館といわれていますがその築城年代などは一切不明です」とありますし、お隣の敷地・志木第三小学校にある『史跡 柏の城跡』には「この辺一帯を遺跡とする柏の城は、木曽義仲の子孫で武蔵屈指の豪族大石氏が室町中期に造った居館である」「柏の城が豊臣勢に攻められて落城したのは(中略)天正十八年」とあるので……。うーん。どれが正解なのか全部正解なのか……そもそも私が歴史に疎すぎるので、わかりません。一度ちゃんと志木の歴史を勉強してみたいです。子供がこれから大きくなっていく町ですからね。


桜の花弁はほかの桜と同じ5枚なのですが、「かなりの頻度で6~7枚の花弁がみられる。正常の5枚以外のものは雄しべが花弁のように変化したもので、これが旗状になっており、『旗弁』と呼ばれ、ハタザクラの所以である」そうです。



長勝院旗桜は、志木市の指定文化財(天然記念物)に指定されています。2000年に投票で選ばれた「21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選」(埼玉新聞社)でも、志木市から唯一選出されています。

平成15年には「市民の木」に制定されたそうで、記念植樹された長勝院旗桜が同じ敷地内にあります。こちらはまだ若いので勇壮な枝ぶりですね。今が見ごろです。(ちなみに、長勝院旗桜は志木市の「宝幢寺」にも接ぎ木が移植されています)


旗桜を見上げるカッパの「さくら子」。

気持ちよさそうなお花見です。


同敷地内に咲く「八重 紅しだれ」は八分咲きくらい?

「うこん桜」は二分咲きほどです。

淡い黄色の花がきれいですね。桜の種類は数あれど、黄色い桜はうこん桜だけなのだそうですよ。

しだれ桜の下にはたくさんの仏像が鎮座していました。なくなったお寺の名残なのでしょうか。

しき報。

埼玉県志木市に住みはじめたライターが、志木を息子の“ふるさと”にすべく「志木ってどんな町なのかもっと知らなきゃなあ」って思ったついでの日記ブログです。志木の四季とかまったく関係ないこととかを書きます。

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